考え抜くこと。

ちょっと前にはやったワードに、”KY”という言葉があります。
その意味は「空気が読めない」


「空気が読めない」ことは、果たして悪なのだろうか?
という疑問を持ちます。


「空気が読めない」というのは、結構雑な日本語だなと私は思います。


明らかに、思いやりや相手のことを重んじない言動をする場合=「空気が読めない」
その場においては反論かもしれないけど、正論を述べる場合=「空気が読めない」
その他大勢の意見に同意しない場合=「空気が読めない」    など


一番最初の例は「人としてどうよ??」ですが、残りはどうなのだろう?


本やよく読むブログで見かけるワードで「思考停止社会」というものがあります。
名のとおり、考えることをやめ、自分自身の考えを放棄して、あらゆる大多数の意見に賛同することだそうです。

思考停止については、ズーニーさんのコラム
にわかりやすく書いてあります。

感情的な判断で安易に決め付けたり、情報を得る努力を怠ってるからか?あまり考えてないからか?きちんと判断しない、判断することを避けることもいえるのではないでしょうか。


例えば、「何かが美味しい」「何かがカラダにいい」などという情報が流れたら、それが全くストックがなくなるほど多くの方がその商品に殺到することなんかがその傾向をあらわしています。

その商品のメーカーはラインを増やしたり、企業努力をしたものの違う商品が出てくると、そちらに殺到。
これって、目線を変えたら罪作りなことをしてるのでは??


自分自身の判断で支持した筈なのに、何かがあれば猛烈なアンチ行動に移ったり、自分自身の立場を守る為に保身にはしって足を引っ張ったり・・・

散見しませんか?


よく言えば、協調性がある。
反面、自分という個が確立されず、自己主張ができない。
言い換えるならば、依存的で自分という個がないとも言えます。


自分の意見を持つということには、確かに自分の責任が生じます。
生じるからこそ、考えて考えて考え抜くし、だからこそ、情報や知識のUP-DATEは欠かせません。


もちろん、誰でもパーフェクトではないし、だからこそ「お互い様」の精神は忘れてはなりません。

やってもらって当たり前。
うまくいったら、その恩恵を受けるのも当たり前。
でも、問題があったときは、猛烈に批判するのも当たり前。

これって人財じゃなく人罪だし、思いっきり思考停止だよね。


誰もが世界というコミュニティに属してるし、
私の場合、日本というコミュニティにも属してる。


関わってる全ての人が、表面的に見えてる部分だけではなく・・・・

もっと起こってる事柄を自分自身の意見を持って、考えること。
意見をもてるだけの知識を持つこと。


それが社会を変えていくことかなと思うのでした。


最近の社会全体の流れを見ても・・・
自分の身近な場面でも・・・


最近良く感じること。


このチェック、中々的を射てましたよ☆
あなたの「思考停止レベル」は?
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by lovely_kh | 2010-06-11 23:27 | 徒然